少しだけまじめな話。
どうして好きなものは大声で好きだといえるのに嫌いなものや苦手なものを発言するのはちょっと…という空気になるんだろうか。割と不思議に思ってる。苦手や嫌いを伝えるのってそんな悪いことなんだろうか?「ああこの人はここが合わないのか」という一つの大事な判断材料になると思うし、自分の好きが誰かの苦手や嫌いなら逆も然りで、SNSならその人のことが好きだがその人が好きなものが嫌い(もしくは苦手)と感じたならそのワードをミュートして予防だってできる。当然これも逆のことが言えると思う。
いやな思いをしたから苦手であって、自分が侵害されると感じるから嫌いになるって結構シンプルに大事な感性だと思うんだよな。言葉がとげとげしくなってしまうのもあるかもしれないが、それこそ対話で言ってるわけじゃないんだ。見たくない言葉を選んで視界から消せる時代なんだ。
なのになんで嫌い・苦手の発言を言うと空気かおかしくなるんだろうか?好きだけで構成された世界でもあるまいのに。その嫌いなものや苦手なものだって自分を構成する要素なのに。
そのための隔離垢があったりなんだったりするのはわかるんだけど、ちょっとくらい「苦手」「嫌い」に共感だってされたいじゃないか。自分の声だけが反響する井戸にずっと叫び続けるのだって空しいもんだよ。
どうして好きなものは大声で好きだといえるのに嫌いなものや苦手なものを発言するのはちょっと…という空気になるんだろうか。割と不思議に思ってる。苦手や嫌いを伝えるのってそんな悪いことなんだろうか?「ああこの人はここが合わないのか」という一つの大事な判断材料になると思うし、自分の好きが誰かの苦手や嫌いなら逆も然りで、SNSならその人のことが好きだがその人が好きなものが嫌い(もしくは苦手)と感じたならそのワードをミュートして予防だってできる。当然これも逆のことが言えると思う。
いやな思いをしたから苦手であって、自分が侵害されると感じるから嫌いになるって結構シンプルに大事な感性だと思うんだよな。言葉がとげとげしくなってしまうのもあるかもしれないが、それこそ対話で言ってるわけじゃないんだ。見たくない言葉を選んで視界から消せる時代なんだ。
なのになんで嫌い・苦手の発言を言うと空気かおかしくなるんだろうか?好きだけで構成された世界でもあるまいのに。その嫌いなものや苦手なものだって自分を構成する要素なのに。
そのための隔離垢があったりなんだったりするのはわかるんだけど、ちょっとくらい「苦手」「嫌い」に共感だってされたいじゃないか。自分の声だけが反響する井戸にずっと叫び続けるのだって空しいもんだよ。