藤堂明彦と清水芳のPM18:14
「どヘタクソ」
「…」
綾小路邸の台所にて、最早台所の主と化した明彦は目の前の男にひたすら淡々と罵声を浴びせていた。
「何回言えばみじん切りとさいの目切り覚えんだよあんた。もう4回目だぞ」
「ど、どっちも一緒やん…」
「一緒に見えるなら眼科行け。もしくは前髪上げろ馬鹿」
「…ボク一応君より年上ですけど」
「今教えてるのは俺だけど」
明彦の冷たい視線を受けながら清水芳は返す言葉もありませんと両手をあげた。
ことの発端は芳が学校帰りの明彦を待ち伏せていたところだった。部活中の小桃を待つ間の暇つぶしをしている明彦の前にふらりとこの男が現れたのだ。そして明彦の用など気にもとめずに引きずるように明彦共々綾小路邸へと押しかけた。(尚この様子をプールサイドから小桃が見ていたことを明彦は知らない)
話を聞けば料理を教えて欲しい、という内容に明彦は開いた口がふさがらなかった。お互い面識はあるがいい印象はない。胡散臭くて気味が悪い、が明彦の芳への認識だ。
そんな男が気まずそうに自分に料理を教えてくれ、と頭を下げてきたのだ。食わせてくれ、ではなく。教えてくれ、と。
明彦は最初「くっだらねえ、自分で調べろ」と切り捨てたのだが芳の「これ、欲しい?」とすっと差し出された小桃の部活中の姿(スクール水着)と京都三条の某有名包丁店の包丁を差し出された瞬間
「しゃーねぇなぁ任せとけよ!!!」
と力いっぱい了承してしまったわけだ。我ながら情けないレベルのちょろさだった、とは後日本人談である。
そんなわけで急遽始まった料理教室だが芳は右も左もわからない状態だった。本人に聞けばインスタントを温めるくらいはできる、と胸を張っていたが明彦からすれば言語道断もいいところだ。新聞を丸めてその後頭部を思い切り張り倒すと顎で早く台所へ行けと指示したのが10分前。
それからは散々だった。火を使わせればすぐに焦がし、包丁を持たせると指を切りまくり、米を洗剤で洗おうとし始めるわで散々だった。重要なので二度言わせてもらった。10分の間で既に散々だった。三度言わせてもらった。
ただ芳は不器用ではあるが物覚えは早かった。いびつながらも皮の剥かれたじゃがいもの芽を取りながら明彦はほう、と感嘆の息を漏らす。いつも秋奈の所用を聞きに来る時のあのニヤケ顔は今は微塵もなく、細い目はいつになく真剣だった。いて、という言葉とともに指に新しい傷ができたのを見て明彦は絆創膏を渡す。ありがとお、と言う間伸びた言葉は普段見ている彼からは想像つかないほど穏やかだった。
「なあ、なんで料理しようとしたんだ?」
芳のできない部分、主に味付けのあたりをフォローしながら明彦は聞いてみた。ただの好奇心だった。しかしその問に返事はなく、訝しげに芳を見上げた明彦は開いた口が塞がらなかった。
顔面を真っ赤にしたままこっちを凝視し、顔を引きつらせている芳にただただ驚いた。明彦はみりんを計量カップから大量にこぼしていたし芳は深く指を切っていたがお互いそれどころではない。明彦は驚いているし芳は引きつっている。とてもシュールな光景だった。
やがて二人はぎこちない動きで手当と片付けをする。その合間に芳はぼそぼそと呟くように明彦の問に応えた。
「…同居しとるやつの、負担になりたないねん…ろくなこと、できへんから…」
その答えに明彦は目を丸くする。ただ意外だった。答えてくれることも、その答えの内容も。血も涙もないような、ろくでなしだと思っていたからだ。
だから次の明彦の言葉も仕方ないといえば仕方ないのだが、これが自爆になるとは誰が予想できようか。
「でもあんた、そんなのは女にやらせそうじゃねえか」
「お、んなやのうて…男やねん…」
昔の明彦なら、わからなかった。
しかし今の明彦には彼女がいる。飛鳥井小桃という、彼女(腐女子)が。
「あんたゲイかよ!!!うわこっちくんな!!!」
「ゲイちゃうわ!!!あとお前とかこっちから御免こうむるわボケェ!!!」
つまり、そういうことである。
ぎゃあぎゃあ騒いでいる二人を尻目に、煮込んでいた肉じゃがはほくほくと炊き上がっていた。
できた肉じゃがを大きめのタッパーに入れて芳に渡し、追い出してから明彦はiPhoneを見た。Lineの通知を見て思い切り床にiPhoneを叩きつけ破壊する。
『ねえ明彦くん、隣にいたお兄さんは誰?どっちが攻でどっちが受かしら?』
その一言に対する返事を放棄しながら。
しかしそのあと芳が何を思ったのか明彦の料理を教わりに来るのが習慣化して明彦の心は一部死んだ。