壊れた枷の先の
くらり、と頭の中が回っているような気がする。ここまで飲んだのはいつ以来だっただろう。
「んん…アベル…大丈夫…?」
「…」
ほろ酔いのニコラスが突っ伏して動かないアベルの肩を揺らす。久々に会えた嬉しさと最近色々合った反動でハメを外しすぎたな、とまだアルコールに飲まれていない頭の隅でそんなことを考える。
本当に、色々合った。蛮神タイタン、蛮神ガルーダの撃破。暁の血盟の壊滅と復活。その間に交錯した、沢山の人々の思惑と思想。
気高い、と思う反面何故分かってくれない、と憤りを覚えることもあった。蛮神たちを目の前にしてもう二度と彼女に会えないのではないのか、と手が震えたこともあった。
慣れない怒涛の日々の中でアベルはすっかり参ってしまっていた。アキやレイ、ルカやリコ等の友人がいなければ今頃自分はクルザス地方のドアを全て破壊して回っていただろう。凍え死んでしまえ、そんなことを呟きながら。
しかし、それもニコラスを見た瞬間吹き飛んでしまった。ついでに、有頂天になった自分への自制の枷も。アベルは今いつも以上に気が大きくなっていた。彼女の話を聞くのも、自分が愚痴るのも楽しくて仕方なかった。何よりニコラスと共有するこの時間がふわふわとアベルの思考を溶かしてしまうのに時間はかからなかった。
酒瓶がいつも以上の数になったのはいつごろだろう。そんなことも不明瞭になり始めた頃だった。
ニコラスが何か自分を揺らしている。なんだろう、頭がふわふわする。
(…かわいい、なぁ)
「ねぇ、アベル…大丈夫…?」
「…ニコ……」
「お水、飲む?」
「……ん」
なんとなく水は欲しかったのでありがたくその言葉に甘える。ふと、ほんの少し困った顔でふにゃりと笑いかける口元に目が行く。なんとなく気まずくてふいと目をそらすとそれを大丈夫じゃないと取ったのだろう、おぼつかない足取りでニコラスが立ち上がる。
「まってて、持ってくるからねー…お、っと…」
「っあ、ぶない」
足元に転がった酒瓶にでもつまづいたのだろう、よろけたニコラスの腕を掴むとアベルは思わず自分の方へ引き寄せた。わわわ、と悲鳴をあげながらなんの抵抗もなくぽすりと自分に飛び込んできた様をみて、アベルは自分の腹の底で何かが軋む音を聞いた。
「だ、だいじょうぶ、か」
「大丈夫だよ…アベルこそ大丈夫?…アベル?」
「…」
心配そうに見上げてくる顔を凝視しながら、ぎしりぎしりと、軋む音は大きくアベルの頭を揺らす。これ以上はやめてくれ、と叫ぶのは理性なのかなんなのかそれも不明瞭になる。
見上げてくる光彩の違う目も。アウラ・レンの白い鱗も。
痛かった?と自分に触れてくる指先も。
今、自分の腕の中にある。
「………ニコ」
「? なぁに?アベル」
ばきり、と何かが壊れた音がした。今までせき止めていたものが溢れて溢れて溺れそうだった。いや、もう溺れていたのかもしれない。
支えに回していた腕を、腰に背中に回す。一瞬身体を固まらせたニコラスを意に介さず崩壊した何かの侭にアベルは口を開いていた。
「ニコ、好きだ」
「!? なっ、あ、アベ、アベル!?」
甲高い、素っ頓狂な声が脳を揺らして抜けていく。ああ、好きだ。好きだ。
もう止められなかった。
「すきだ、ずっとまえから、ずっと、ニコが、好きだ、ニコ、ニコラス…」
「あっ、アベル…!その、あの、えと…!おっ、おち、おちついて…!」
泣きそうな響きを持つそれに一瞬瞠目して、それから慌てるニコラスの声が更にどろりと頭の中がとかされていく。再び視界に入った唇に、今度はもう止める理由もなかった。
するりと頬に手を添える。ニコラスがえ、と小さく声を上げた気がした。
━━その声を、自分の唇で塞ぐ。
「ッ!?」
びくり、と体が震えたのが手のひらから伝わった。それすら興奮材料にしかならずアベルは腰に回した手に力を込め頬に添えていた手は後頭部に回す。
一度唇を放し、惚けたように空いたそこにもう一度食らいつく。
「あ、べ…っん、ぅ…ッ!?」
「ニコ…ッ」
逃げる舌に自分のそれを絡め、何度か犯す。服の裾を引っ張られた気がするがニコラスの抜けるような声でそれすらどうでも良くなった。
存分に犯して満足して離れればお互いの口の端から伝うように糸が引く。それが切れる前にアベルはニコラスの首筋に顔をうずめた。
「ふぁ、っあ、ひゃっ!?ま、アベルまって!まってまってー!!」
我に帰ったニコラスが慌ててぐいぐいと細い腕で押し返すとあっけなくその身体はぐらりと傾ぐ。慌てたまま支えればアベルは小さく寝息を立てていた。
「あ、アベル…?…ッ!」
慌ててソファにアベルをもたれさせるとニコラスは脱兎の如く走り出す。酔いと足元が散らかっているせいで何度か転んだがアベルが起きることはなかった。
*
意識が浮上して、アベルは目が覚める。いつもならぼーっとしている頭が一つの事実で殴られたように一気に覚醒した。顔から血の気が引いていくのがわかった。
(お、れは…何を…何をやって…!?)
思わず口元を押さえる。頭痛はするが吐き気はない。それより強烈な感触がまだ残っている気がして心臓が止まらない。
言ってしまった。しかも自分は昨日何をやった。聞くまでもない。
「━━!!」
どうしよう、どんな顔をしたらいい?というか、ニコラスは。いつもみたいに酔って忘れてくれてないだろうか。あんな、あんなの。
ぐるぐると思考に沈むアベルは気付かなかった。背後のドアが薄く開いてアベルを見ているのを。しばらくしてじれたのか、ドアの隙間から声が飛び出してきた。
「あの、アベル…おっおは、おはよ…」
「ッ! お、はよう…」
一瞬険しい顔をしかけ、しかしなんとか押さえ込んだアベルはぎこちなく振り向く。ドアから半身を乗り出したニコラスは目を泳がせながら、わざとらしく大きな声を上げる。
「えと、えーっと…よ、良く眠れた!?」
「あ、ああ…うん…」
「よ、よかった…!あー…アベルは二日酔い…とか、しないもんね…」
「ッ、ああ、わりと、大丈夫な方、だな」
「そ、そうだよねー!あは、あはは…」
お互いがしどろもどろだった。最早それだけでニコラスが昨日のことを覚えていることがわかってしまう。
「…ニコ、は…酔ってた、よな…?」
「…ちょっとだけ……」
確信と後悔が一気にアベルに押し寄せる。覚えているときに言うつもりはなかった。伝えることもそういう風に触れることも諦めていた。全ては隣で、「幼馴染」でいられるのならと自分で割り切ったというのに。
「ッ、ニコ…すまない…!その、酔って、だから…!」
がば、と頭を下げたアベルにニコラスは引きつらせたような笑顔を向ける。アベルが最も見たくない笑顔の類だ。知っている、あの笑い方をするニコラスは。
「…やっといて言うのもなんだが…怒っていいんだぞ…?無理に、笑わなくても…」
「……怒らないよ…おこれ、ないよ…」
一発叩かれる覚悟でそういったアベルはえ?と顔を上げる。不安そうに、ドアに半身を隠したままこちらを見るニコラスと目があった。
「あの…あのね、アベル…そっち言っても、いいかな…?」
「い、いいぞ…?」
こそこそと、アベルを迂回するように歩き、何故かベッドの上で正座し始めたニコラスを見ながらとりあえず自分もソファに座りなおす。嫌な沈黙が続いて、口を開いたのはニコラスだった。
「あっ、あのね…あのねアベル!私…その、い、嫌じゃ、なかったんだよ…」
「…え?」
今、ニコラスはなんて言った?
思考が追いつかないアベルをほったらかしてニコラスは勢いよく布団に包まりそのまま立てこもる。それを止められないほどアベルは思考が鈍足になっていた。
「あああああ!やっぱりおかしい!?おかしいよね!?」
「え、は?…は!?ちょ、に、ニコ!?」
「どうしよう…変だよね…あぁー…!」
奇声を発し始めるその布団団子に恐る恐る近づく。ニコラス、と声をかけると大きくビクつかせて、そろりと顔だけ出してくる。その目は不安げに揺れて、けどアベルをしっかりと見ていた。
アベルは大きくなる一方の心臓を無視して口を開く。
「…嫌じゃなかったって、どう言うことなんだ…?」
「…その前に、一つ確認させて。アベルって…酔ったら誰でもあんな、あんな感じのことするの…?」
「するわけないだろう!!」
思わず怒鳴ってしまった。ただ、こればかりは神でも悪魔でも何にでも誓っていい。いくらニコラス相手でもこれだけは信じて欲しかった。
ごめんなさい!と悲鳴を上げるニコラスに少しだけ冷静になりながら、それでもアベルは繰り返した。
「…するわけ、ないだろ…してたまるか…」
こんなことしたいと思ったのも。自分ががんじがらめになってでも縛り付けたくないと、その反面自分のそばだけにいてくれたならと願ったのも、どんな世界を探したってニコラスただ一人しかいないのに。
よかったぁ、とほっとしたように頬を緩ませるニコラスを見て、アベルは腹をくくって、ニコラスの前に膝立ちになる。もうどうにでもなれ、と思うのが少しとここまできたら伝える以外にないだろうと。
決壊してしまったものは戻りはしないのなら、勢いのままにあふれさせてしまえと、震える手を握り込んで。
「…あの、な。ニコ…酔った勢いにはなったが…好き、だ」
「ッ」
「好きだから、その、止まらなかったんだ…すまない…」
「~~~~~~っっ!」
ちらりと見たニコラスの顔が赤い。それもそうだ、急にこんなこと言われたところで頭が追いつかないだろう。
なんだか羞恥心よりも罪悪感が勝ってニコラスから目をそらす。
「…すまない、ほんとに…ごめん、ニコ…好きで、ごめん…!」
「えと、ち、違うのアベル…私も…好きだよ…」
「……………はい?」
思わず素っ頓狂な声が出る。ニコラスは酔ってるのか?まさかここに来る前に飲んだのか?何を朝から飲酒を決めてるんだ??
呆けた顔のアベルにとうとう痺れを切らしてニコラスが布団を跳ね除けてアベルの胸ぐらを掴む。ともすれば鼻同士をぶつけてしまいそうな至近距離で。
「好きだよ!私だってアベルが大好きなんだから!!」
一瞬何を言われているのかわからなかった。というか今もよくわかっていない。なのに。
ぽろりと急に泣き出したアベルに、ニコラスがぎょっとする。
「あ、アベル!?どうしたの、い、いやだった!?」
「ちが…さっきの、ほんと、か…?」
もし、ニコラスの優しい嘘だったら。自分が傷ついても笑ってしまえる彼女だから。だから少しだけ疑ってしまった。
そんなアベルを少しだけむっとしながらニコラスは見る。小さな手がアベルの目尻をそっと撫でる。
「ほんとだよ…私、嘘はつかないよ」
「…遠慮とかじゃあ、なくてか…」
「…アベルは信じて、くれないの?」
むぅ、と頬を膨らませるニコラスにようやくアベルは安堵した。そういえば子供のころ、ニコラスの言った事を信じなかったとき今みたいにふくれっ面をしたっけか。
それを思い出してアベルは情けなく笑う。笑って頬を添える小さな手に触れる。
「…信じ、るよ」
「~~~~~~~~~~アベルッ!」
勢いよく抱きついてきたニコラスを危ないだろ、と文句を言いながらしっかり抱きとめたアベルは満面の笑みを浮かべながらしがみついてくるニコラスを見下ろす。
「だってだって!嬉しいんだもん!ずっとアベルのことが大好きだったんだから!」
その笑顔のまま見上げてくるニコラスに、また心臓が大きく跳ねる。
━━やっぱり、ニコラスはこの笑顔がいい。
「…俺もずっと、好きだった」
当然、これからも好きだけども。そう言ってアベルとニコラスは額をくっつけて、笑った。
*
「…アベル、今度は、酔ってない時にちゃんとしてほしいな…だめかな…?」
ニコラスのお願いに思わず吹きかけて、アベルはしどろもどろになる。やりたいのは山々だが、今は無理だ。申し訳ないが絶対に。確実に。
「あ、い、いつか…いつか、な…?」
「うん、待ってる!」
にへら、と笑ったニコラスにアベルの中で何故かレイとルカが囁きかけた気がした。
『こないに健気な子、待たすつもりなん?』
『お前ほんっと度胸ねえなー』
うるさい。うるさい、特にレイお前にだけは言われたくない。そんな葛藤は一瞬だった。
伝わってつながったのだ、この想いは。触れてもいいのだ。ためらう必要がどこにある!
思い切り目を閉じて、ニコラスの額に唇をひっつける。
「!!」
「…い、今は…これで…」
自分でやったとはいえ、羞恥心がやばい。思わず口元を覆ってしまったアベルの頬に小さなリップ音と柔らかな感触が触れてくる。振り向けば恥ずかしそうにはにかむニコラスと目があった。
頬に、自分と同じことをされたのは明白で。
「こ、今度はこっち…待ってるね…!」
「っ、ア゛ァ゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?!?!?!?!?!?!?」
「え、ちょ、あ、アベル!?アベルー!!!」
━━この日、アベルが気絶して冒険者業を休業したのは言うまでもない。