酒気に紛れて消える言葉
「ふへへ…アベルぅ…」
「…ニコ、飲みすぎだろ…」
目の前の惨事にアベルは思わず頭を抱えた。転がる酒瓶、濃度の濃い酒気、そして目の前には顔を真っ赤にした幼馴染。自分も飲んではいるがまだ酔いを覚えるほどじゃないぞ、とべろんべろんになったニコラスに小さくぼやく。
冒険者となり会う機会は減ったとはいえ、合えば時々宿や野営先で近況報告や酒を飲み交わすことは度々ある。そういえば今回は結構久しぶりに会ったなぁとどこか他人事のように考えて、アベルは飲むのを早々にやめた。転がる酒瓶を端に寄せ、窓を開ける。宿のルームサービスなのだろう置いてある水差しとコップを持ちニコラスの目の前に座る。
うへへー、と訳のわからない音で笑い始める幼馴染に水を入れてコップを渡してやるとありがとー、と非常に危なっかしい手つきで受け取られる。落としそうだ、とひやひやしているアベルのこと等知ったことじゃないニコラスはひどく緩慢な動きで水を喉に流し込んだ。喉の動きを眺めながらアベルはそっとため息をついた。
男女がふたり、宿の一室で酒を飲む。しかも女の方は泥酔だ。なにがあるかわかったもんじゃないだろう。危機管理がなってないんじゃないか。よもやほかの男の前でそんな体たらくじゃないだろうな。アベルは自分を棚に上げて少し眉間に皺を寄せる。
元々素直さに猪突猛進がくっついたような性格の幼馴染だ。言えば聞いてはくれるだろうが今度は我慢の限度を超えてしまうだろう。なんとなくその様子が想像できてしまいアベルはいつだって彼女に何も言えなくなってしまう。
もにゃもにゃと何やらわからない言語をしゃべっているニコラスに適当に相槌を打ちながらどうしたらいいんだろう、とアベルは考える。我慢して欲しいわけじゃないし、なんなら自分にくらいはわがままを言って欲しい。幼馴染なわけだし…ニコラスの隣には、自分がいるのだから。
しかしその思考を遮るようにニコラスの声が鼓膜に飛び込んできた。
「あのねぇ、アベルぅ。リコちゃんがねぇ、うふふふ」
「? リコが、どうしたんだ?」
「リコちゃん、またね、また、うふふっ、恋をしたんだって」
心臓が一瞬、大きな音を立てる。友人の姉が恋をしたことにではない。恋と言った彼女の、とろりととろけた薄い緑と青が、嬉しそうに、楽しそうに笑む。それを見て。
破裂しそうになったそれを何とかなだめすかしなんとかそうか、とだけ返したアベルを気にするでもなくニコラスはとろとろと笑いながら続ける。
「リコちゃん、とっても嬉しそうなの。なんだかね、恋をするのがね、すごく嬉しそうなの」
「…そうか」
「何となくね、私もわかるなぁ…恋をするの、切なくて、ふわふわして、とってもね?心臓が、きゅーってするんだよ」
「ッ、そ、うか」
あまり聞きたくなかった。反面、聞いてしまいそうになった。誰に恋をしているんだ、と。誰が、好きなんだと。
(…誰でも、いいだろ。ニコラスの好きな男なんて)
自分であってくれ、と叫びそうな心に蓋をしてアベルは口を閉ざす。
ずっと、好きだった。それこそ彼女の隣に居れるのならなんでもよかった。それでいいし、このままでよかった。崩れてしまうくらいなら、せめて幼馴染のこの位置だけは失いたくなかった。それでも時々口からこぼれてしまう。
「ねぇ、アベル。アベルは恋、してないの?」
「…どうだろうな」
「むむ、教えてくれないの…?いじわるー」
「意地悪じゃないだろう…」
「いじわるですぅー、いじわる、アベルのいじわるぅ」
グラグラと机を揺らし始めたニコラスをなだめようとアベルが席を立ち、彼女の隣に立つ。その瞬間ぎゅ、と腕にしがみつかれた。バランスをなんとか保ちつつニコラスの隣へ膝立ちすると勝ち誇ったように笑うニコラスが視界いっぱいに入ってきた。
「つーかまーえたっ。教えてくれるまではなさないよー」
「…まいったな」
「えへへー…恋、してる?」
こっちの気も知らないで。普段、口から思わず飛び出しそうになるその単語をどれだけ必死で塞いでいるか知りもしないで。この言葉が、素直な彼女を縛り付けるのをわかっているからこんなに必死で口を閉ざしているのに。
十二神も母なるクリスタルも、いささか意地が悪い。
「…してるよ」
「えー!そうなの!?だれだれ!?」
「…」
聞いたのはそっちだ。塞いでいる部分をこじ開けたのは君だ。俺は、何も悪くない。
「ニコラス」
「ふぇ?」
「俺は…ニコラスが、好きだ」
爆発を通り越して最早停止しそうな心臓を無視したアベルの吐き出した言葉にきょとんとしたのち、ニコラスはくふくふと小さく笑う。そんなリアクションに面食らうアベルにニコラスは隠していた宝物をこっそり見せるように、告げる。
「わたしもだよ」
「ッ」
「わたしもアベル、だいすきだよ」
目をいっぱいに見開いたアベルに小さく笑いもたれかかる。しばらくも経たないうちに寝息をたてたニコラスを、アベルは直視できなかった。
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(…もう少し、学んで欲しいというか)
アベルにもたれかかりふにゃふにゃと笑うニコラスに人知れずため息をつく。
結局あの、アベルにとっては世紀の大告白を彼女は覚えていなかった。がっかりしたのはあるが、それよりも安堵のが大きかった自分の気の小ささに絶望すらした。
それでもいい。伝わらなくともいい。今彼女といられるのなら。ただ。
「…ニコラス」
「はーい?」
「…好きだ」
「えへへー、私もだいすきだよー」
このやり取りも、何度か繰り返した。酔いの返答は気分がいいだけのものだと分かっていても縋らずにはいられない。
例え。例え後でどれだけ虚しくなろうが。
今だけは、酒気に紛れて全てが掻き消えるこの瞬間、行き場を無くした恋を吐き出すことだけは許して欲しかった。