小説 2024/11/12 Tue 探索者のわやわや。ネタバレ等はありません。続きを読む金の星、灰の猫「……」ニコルは唖然としながら目の前のイギリス人の女を見ていた。凄い勢いで消えていくスイーツ。文字通り山を成していたそれを口に入れては美味しそうに咀嚼する様子に最早吐き気さえ覚えている。ニコルの手にしていたサンドイッチは幾分か前に食べることを放棄されていた。『? ニコル、食べないの?』『アンタが食べてるの見てたらもういいってなっちまったんだよ、ベアトリーチェ』言いたいことは万も億もあるが、何とか抑えてそれだけ返事する。目の前のイギリス女改めベアトリーチェはじゃあ私にくださいと、ニコルが話すのとは異なる英語でそう答えた。*ニコルが日本へ入国し方々を回っていた時のことだった。道に迷ったニコルは目の前に薄汚れた金色の布を拾った。拾った、というかついてきたと言うべきだとはニコル談ではあるのだが、どうも拾われた側はそうは思っていないらしい。小汚い布は、ベアトリーチェと名乗った。うっすらと黄色み掛かった、白にすら見える淡い波打つ髪を豪快に絡ませて鳥の巣を作っていたのを苦心しながら解いてやれば目の前の女はすぐにニコルに懐いた。財布を落として行き倒れていた彼女にこれっきりだと食事を奢ったのだが、その後は何をしてもついてきていた。何度か本気で撒いたにも関わらず気付けばニコルの行く先々に彼女の頭がひょっこり現れる。その度ニコルは肝を冷やしていた。当然何か目的があるのか、と問い詰めたこともある。ニコルは住んでいた場所が場所だけに用心深かった。しかし疑われているベアトリーチェと言えば本当に何も企んでおらず、おそらく自分以外の外国人が珍しく、また助けてもらったからと言う理由で付いて回っているだけらしい。疑うだけ無駄だ、とニコルは色々諦めた。『あ!ニコル見て、カエル!日本のカエルは小さくてかわいいわ!』『へーへー、そうかい。腹の足しになら無さそうだな』『食べない!なんてこと言うの!』あちこちで見るなんの変哲もないものに一々騒ぐベアトリーチェをニコルが適当にあしらう。そうしただけベアトリーチェがうるさくなるもんだからいよいよニコルもムキになって言い返す。ベアトリーチェは楽しそうにそれに乗る。疲れてしまう結果は不本意にも一緒に過ごした数日で分かっているのに相手をするあたしもあたしだな、とニコルは自分にため息をついた。*ニコルがぱ、と目を開けたのはほとんどの建物から光が消えた夜更けだった。山奥に借りたコテージの中を何かを物色しているような音が響く。物盗りか、と警戒しながら横目で見るとベアトリーチェが自分の荷物を漁っていた。ニコルのカバンならば取り押さえてやるつもりだったがそうじゃない。ならこんな夜更けにこいつは何を?気になったら暴かずにはいられない。『何やってんだ、こんな夜中に』『あ、起きちゃった?』むくりと体を起こしたニコルに特に驚くこともなく、ベアトリーチェはごめんごめんと小さく手を合わせた。そんなことどうでもいいよと言い捨てて、視線で質問の続きを促せばベアトリーチェはくふくふと小さく笑って手にしたものを見せつける。『? なんだそりゃ?』『星座盤と小型天体望遠鏡よ。今日は久しぶりに晴れたから』『星なんて見てどうすんだ』『どうもないわ、見て綺麗だなって思うだけ。強いて言うなら私のお仕事兼好きなこと』そう言いながら目を伏せたベアトリーチェがいつもと違うように見えて、思わずニコルの心臓が跳ねる。いつものはつらつとした眩しさが、今だけどうにも柔らかい灯りのように感じて驚いたのだ。落ち込んだわけではなく、どう見ても楽しみで仕方ないと言った風なのに雰囲気が違う彼女に驚いて、困惑する。『ああ、そう。じゃああたしは寝直すとするから好きに、』『ねえニコル』一緒に見ない?柔らかい笑みが、ニコルに向いた。*『はいどーぞ、コーヒーだよね?ミルクティーじゃなくてほんとによかった?』『いつものでいいって』湯気のたつマグを手渡されながら、ニコルは一口啜る。苦味と香りが口いっぱい広がりながら喉奥に滑り込んでいく感触にほう、と息をついた。隣ではいつの間に作ったのか、一人でハムサンドを頬張るベアトリーチェがいた。ぱちりと目があって、微笑まれる。それがなんだか気不味くて思わず目を逸らすが、ベアトリーチェが動いた音がしてまた彼女に視線を向けてしまう。『うん、やっぱり今日はよく見える』そう言いながら天を仰ぐベアトリーチェに、ニコルは言葉をなくした。真夜中だと言うのに月が煌々と彼女を照らし、波打つ金糸に光を惜しみなく注ぐ。ランタンすら消しているのに、ベアトリーチェの周りだけ明るく見えた。いつだったか、ミサを行う教会に飾られたステンドグラスに描かれたマリアを思い出すが、それよりもベアトリーチェの方が実態を伴っていた。ニコルは、見たことがないものを信じない。だから実在する彼女の神聖さに似た何かを本物だと感じた。純粋に綺麗だと思ったのは、いつ以来だ。コーヒーではない何かを飲み込む。その音すら彼女の邪魔になりそうで、ニコルは思わず身を縮こまらせた。そして、腹の底にどろりと黒いものが滑り込む。夜でも昼でも明るくて、人も疑わずただ笑っていられる彼女と、押し付けられた薄暗い過去からの、灰色の延長線を歩かされるだけの自分との落差に嫉妬した。押し付けられて、本当だったら変えられたかもしれないものまでずっと背負わされて、自分が探す人たちに会うまで自分は不安定のままで。無性に叫びたくなった。彼女の髪を引っ掴んで引き倒して、力いっぱい殴りたい衝動に駆られた。静かな彼女の悲鳴を聞きたくなった。浅ましいのが自分だけだなんて思いたくなかった。『ニコル、大丈夫』柔らかい声だった。ニコルが思わず顔を上げる。ベアトリーチェは笑っていた。何もかもを許すと言った、高慢とも取れる目で。優しくて柔くて触れば壊れてしまいそうなのに、それでもベアトリーチェの方が強かに感じる。それはニコルの劣等感すらも宥めすかして行くようで、肩にかけられたタオルケットが呼応するようにずり落ちた。それを拾ってもう一度ニコルの肩に掛けながらベアトリーチェはまた笑いかける。『ニコルはニコルのままでいいの』『……お前、あたしの何を知って』『何も知らないわ。けど、ニコルったらずっと悩んでる顔をしてるんだもの。私じゃなくても分かっちゃうわ』いつの間にかベアトリーチェの手にはカードの束が並べられていた。カンテラに光が入り、その手元を照らす。鮮やかにカード切って並べていく。紙が捲られる柔らかい音が静寂を止めていく。ニコルはその様子を眺めることしかできなかった。すい、と一枚のカードが目の前に差し出される。『そのまま進んでニコル。大丈夫だから、星も数字もそう出てる』『……なんだお前、シャーマンってやつか?生憎あたしは占いとかそう言うもんは信じない質でね』『信じなくてもいいわよ、信じるものじゃないもの。結局占いなんて、数字の結果でしかない』『だったら何で』『私の占いは、背中を押すためのものだから』ニコルだってどうしたいか、自分で分かっているんでしょう?そう問いかけるベアトリーチェは笑っていなかった。とても真剣で、もしかすればニコルが初めて見た彼女の真顔なのかもしれない。けれどもそれがどうしたっておかしく見えて、思わずニコルは笑ってしまったのだ。『押されなくても、あたしは進めるってぇの』そう、とベアトリーチェも笑った。*「すみまセーン!か、かご?かごままけん?に行くしたいデス。電車これ、あってるデスか?」「かごましけん、だ」「鹿児島県ですね」駅員が苦笑しながら目の前の金と灰の頭を見る。外国人の対応は苦手なんだけどなぁ、という彼のぼやきは幸いにも目の前の二人には届いていない。だるそうな灰色と楽しそうな金色が印象的だな、とは思った。「oh!そうデスそうデース!かごしま、けん!」「わかる、した。よかったな。じゃ、ばいばい」灰色が雑に手を振る。金色もそれに勢いよく返す。『……――――』『――! ――――!!』最後に英語で何かを交わして、二人は別れた。義務教育以来英語など触っていない駅員は彼女たちが最後に何を言っていたのかはわからない。けれども、良い旅なのだろうと思った。何故なら二人は笑っていた。金色は優しげに、灰色は呆れながらも微かに。そう、笑っていたのだから。電車が走る。ニコルは東へ、ベアトリーチェは西へ。反対方向へ向かって進んでいく。畳む#CoC #探索者 #小噺
金の星、灰の猫
「……」
ニコルは唖然としながら目の前のイギリス人の女を見ていた。凄い勢いで消えていくスイーツ。文字通り山を成していたそれを口に入れては美味しそうに咀嚼する様子に最早吐き気さえ覚えている。ニコルの手にしていたサンドイッチは幾分か前に食べることを放棄されていた。
『? ニコル、食べないの?』
『アンタが食べてるの見てたらもういいってなっちまったんだよ、ベアトリーチェ』
言いたいことは万も億もあるが、何とか抑えてそれだけ返事する。目の前のイギリス女改めベアトリーチェはじゃあ私にくださいと、ニコルが話すのとは異なる英語でそう答えた。
*
ニコルが日本へ入国し方々を回っていた時のことだった。道に迷ったニコルは目の前に薄汚れた金色の布を拾った。拾った、というかついてきたと言うべきだとはニコル談ではあるのだが、どうも拾われた側はそうは思っていないらしい。
小汚い布は、ベアトリーチェと名乗った。うっすらと黄色み掛かった、白にすら見える淡い波打つ髪を豪快に絡ませて鳥の巣を作っていたのを苦心しながら解いてやれば目の前の女はすぐにニコルに懐いた。財布を落として行き倒れていた彼女にこれっきりだと食事を奢ったのだが、その後は何をしてもついてきていた。何度か本気で撒いたにも関わらず気付けばニコルの行く先々に彼女の頭がひょっこり現れる。その度ニコルは肝を冷やしていた。
当然何か目的があるのか、と問い詰めたこともある。ニコルは住んでいた場所が場所だけに用心深かった。しかし疑われているベアトリーチェと言えば本当に何も企んでおらず、おそらく自分以外の外国人が珍しく、また助けてもらったからと言う理由で付いて回っているだけらしい。疑うだけ無駄だ、とニコルは色々諦めた。
『あ!ニコル見て、カエル!日本のカエルは小さくてかわいいわ!』
『へーへー、そうかい。腹の足しになら無さそうだな』
『食べない!なんてこと言うの!』
あちこちで見るなんの変哲もないものに一々騒ぐベアトリーチェをニコルが適当にあしらう。そうしただけベアトリーチェがうるさくなるもんだからいよいよニコルもムキになって言い返す。ベアトリーチェは楽しそうにそれに乗る。疲れてしまう結果は不本意にも一緒に過ごした数日で分かっているのに相手をするあたしもあたしだな、とニコルは自分にため息をついた。
*
ニコルがぱ、と目を開けたのはほとんどの建物から光が消えた夜更けだった。山奥に借りたコテージの中を何かを物色しているような音が響く。物盗りか、と警戒しながら横目で見るとベアトリーチェが自分の荷物を漁っていた。ニコルのカバンならば取り押さえてやるつもりだったがそうじゃない。
ならこんな夜更けにこいつは何を?気になったら暴かずにはいられない。
『何やってんだ、こんな夜中に』
『あ、起きちゃった?』
むくりと体を起こしたニコルに特に驚くこともなく、ベアトリーチェはごめんごめんと小さく手を合わせた。そんなことどうでもいいよと言い捨てて、視線で質問の続きを促せばベアトリーチェはくふくふと小さく笑って手にしたものを見せつける。
『? なんだそりゃ?』
『星座盤と小型天体望遠鏡よ。今日は久しぶりに晴れたから』
『星なんて見てどうすんだ』
『どうもないわ、見て綺麗だなって思うだけ。強いて言うなら私のお仕事兼好きなこと』
そう言いながら目を伏せたベアトリーチェがいつもと違うように見えて、思わずニコルの心臓が跳ねる。いつものはつらつとした眩しさが、今だけどうにも柔らかい灯りのように感じて驚いたのだ。
落ち込んだわけではなく、どう見ても楽しみで仕方ないと言った風なのに雰囲気が違う彼女に驚いて、困惑する。
『ああ、そう。じゃああたしは寝直すとするから好きに、』
『ねえニコル』
一緒に見ない?
柔らかい笑みが、ニコルに向いた。
*
『はいどーぞ、コーヒーだよね?ミルクティーじゃなくてほんとによかった?』
『いつものでいいって』
湯気のたつマグを手渡されながら、ニコルは一口啜る。苦味と香りが口いっぱい広がりながら喉奥に滑り込んでいく感触にほう、と息をついた。隣ではいつの間に作ったのか、一人でハムサンドを頬張るベアトリーチェがいた。ぱちりと目があって、微笑まれる。それがなんだか気不味くて思わず目を逸らすが、ベアトリーチェが動いた音がしてまた彼女に視線を向けてしまう。
『うん、やっぱり今日はよく見える』
そう言いながら天を仰ぐベアトリーチェに、ニコルは言葉をなくした。
真夜中だと言うのに月が煌々と彼女を照らし、波打つ金糸に光を惜しみなく注ぐ。ランタンすら消しているのに、ベアトリーチェの周りだけ明るく見えた。いつだったか、ミサを行う教会に飾られたステンドグラスに描かれたマリアを思い出すが、それよりもベアトリーチェの方が実態を伴っていた。ニコルは、見たことがないものを信じない。だから実在する彼女の神聖さに似た何かを本物だと感じた。
純粋に綺麗だと思ったのは、いつ以来だ。
コーヒーではない何かを飲み込む。その音すら彼女の邪魔になりそうで、ニコルは思わず身を縮こまらせた。そして、腹の底にどろりと黒いものが滑り込む。
夜でも昼でも明るくて、人も疑わずただ笑っていられる彼女と、押し付けられた薄暗い過去からの、灰色の延長線を歩かされるだけの自分との落差に嫉妬した。押し付けられて、本当だったら変えられたかもしれないものまでずっと背負わされて、自分が探す人たちに会うまで自分は不安定のままで。
無性に叫びたくなった。彼女の髪を引っ掴んで引き倒して、力いっぱい殴りたい衝動に駆られた。静かな彼女の悲鳴を聞きたくなった。浅ましいのが自分だけだなんて思いたくなかった。
『ニコル、大丈夫』
柔らかい声だった。ニコルが思わず顔を上げる。ベアトリーチェは笑っていた。何もかもを許すと言った、高慢とも取れる目で。優しくて柔くて触れば壊れてしまいそうなのに、それでもベアトリーチェの方が強かに感じる。それはニコルの劣等感すらも宥めすかして行くようで、肩にかけられたタオルケットが呼応するようにずり落ちた。
それを拾ってもう一度ニコルの肩に掛けながらベアトリーチェはまた笑いかける。
『ニコルはニコルのままでいいの』
『……お前、あたしの何を知って』
『何も知らないわ。けど、ニコルったらずっと悩んでる顔をしてるんだもの。私じゃなくても分かっちゃうわ』
いつの間にかベアトリーチェの手にはカードの束が並べられていた。カンテラに光が入り、その手元を照らす。鮮やかにカード切って並べていく。紙が捲られる柔らかい音が静寂を止めていく。ニコルはその様子を眺めることしかできなかった。すい、と一枚のカードが目の前に差し出される。
『そのまま進んでニコル。大丈夫だから、星も数字もそう出てる』
『……なんだお前、シャーマンってやつか?生憎あたしは占いとかそう言うもんは信じない質でね』
『信じなくてもいいわよ、信じるものじゃないもの。結局占いなんて、数字の結果でしかない』
『だったら何で』
『私の占いは、背中を押すためのものだから』
ニコルだってどうしたいか、自分で分かっているんでしょう?
そう問いかけるベアトリーチェは笑っていなかった。とても真剣で、もしかすればニコルが初めて見た彼女の真顔なのかもしれない。
けれどもそれがどうしたっておかしく見えて、思わずニコルは笑ってしまったのだ。
『押されなくても、あたしは進めるってぇの』
そう、とベアトリーチェも笑った。
*
「すみまセーン!か、かご?かごままけん?に行くしたいデス。電車これ、あってるデスか?」
「かごましけん、だ」
「鹿児島県ですね」
駅員が苦笑しながら目の前の金と灰の頭を見る。外国人の対応は苦手なんだけどなぁ、という彼のぼやきは幸いにも目の前の二人には届いていない。だるそうな灰色と楽しそうな金色が印象的だな、とは思った。
「oh!そうデスそうデース!かごしま、けん!」
「わかる、した。よかったな。じゃ、ばいばい」
灰色が雑に手を振る。金色もそれに勢いよく返す。
『……――――』
『――! ――――!!』
最後に英語で何かを交わして、二人は別れた。義務教育以来英語など触っていない駅員は彼女たちが最後に何を言っていたのかはわからない。
けれども、良い旅なのだろうと思った。何故なら二人は笑っていた。金色は優しげに、灰色は呆れながらも微かに。そう、笑っていたのだから。
電車が走る。ニコルは東へ、ベアトリーチェは西へ。反対方向へ向かって進んでいく。畳む
#CoC #探索者 #小噺