小説 2024/11/12 Tue CoC「VOID」ネタバレあり。該当シナリオの後日談。同卓PCのお名前、及びよそ様の相方をお借りしています。続きを読む幼気を縊る蛍光灯が瞬いて、コンクリ質の壁に鈍く反射しているのに薄暗い。そんな拘置所は一昔も前の話だ。今は犯罪者との接見室も白に統一され、一定の明るさを保っている。その面会者側に潮は掛けていた。後ろには帽子を目深に被った相棒と、不安そうにしているアンドロイド課暫定班長が立っている。不思議な感覚だと思う。本来ここに座るのは潮ではなく伊智か玲斗、つまり人間であってアンドロイドである自分ではないはずなのだ。立場が逆になっている。奥の、強化ガラスの向こう側。その扉が開く。人間の担当官の後ろから、有馬真二が姿を見せた。※有馬が潮との面会を希望している。不安そうに玲斗が潮と伊智にそう告げたのは半月前の事だ。あの事件の詳細は、世間には隠匿されている。それもそうだ、リボット社のアンドロイドは警察だって利用しているのだ。その社長が起こした事件による、警察へのイメージダウンを恐れて重要な部分は隠蔽されている。当然、当事者のアンドロイド課にも箝口令が敷かれていた。その処理に追われている中での事だった。「俺としては…反対なんだけど。でも上層部はあわよくば潮に有馬真二の技術を引っ張り出させたいみたいでさ」ごめん、抵抗しきれなかった。申し訳なさそうに謝る玲斗に構わないと告げる。はて、その時自分はどんな感情を抱いたいのだろうか。「潮」ふと隣を見たら帽子の鍔が映り込む。伊智が心配そうな、憤っているような、そんな微妙な顔で俺を見た。「大丈夫だって。流石に丸腰だろうからさ。前みたく銃口を向けさせたりなんて出来やしないと思うし」自分で言って、冷たいものが背中に走った、気がした。気がするのはこの体はもはやセンサーを切り替えなければ悪寒すら感じ取れないものになっているからだ。それでも確かに、そう感じた。”有馬潮”として。またぞわり、とそれが背中を落ちる。雑音になりそうな思考に蓋をして潮は有馬との面会に応じた。※老けたな。強化ガラス越しに見る有馬を見た潮の感想はそれだった。夏央を取り込ませた機械の神の隣で立っていた時より狂気はなりを潜めているが、落ち窪んだ目には深く影を差している。艶を無くした白髪が不気味さを助長させていて、いっそ哀れだと思った。機械の存在の潮ですらそうなのだから、背後に立つ人間二人はそれ以上に感じるだろう。伊智が息を呑む音がする。それを留意事項に留めておきながら潮は改めて目の前の男と向き合った。視線が合う。絡む。その瞬間ぎょろりとした目が少し優しげに歪んだ。「潮、調子はどうだ? 身体はどこも、痛くないかい?」その言葉に搭載された演算機能は素早く「正気ではない」という答えを叩き出した。しかし、感情が確かな記憶を伴って揺れる。『潮、調子はどうだ? ……すまない、仕事でちゃんといてやれなくて。痛い所はないかい?』心臓が弱くてよく寝込んでいた潮に、頭を撫でながら不器用に温度をかたむけていた時の。リフレインする記憶を無理やり蓋をする。勤めて自分はアンドロイドだと言い聞かせる。「修繕とメンテナンスは済ませてある。問題はない」「そうか。よかった……所で、夏央は?伊智くんは? 今日は一緒に遊んでいないのかい?」言葉に詰まる。それ以上に機械すら焼け付くような衝動が口から出そうになった。なんとか押し留めているそれは確実に潮を焼いている。燃えている、とは少し違う。煮えたぎって尚、尽きないような。そんな衝動を呑み込む。今は、有馬との会話を続けるのが最優先だ。そう言い聞かせる。「伊智は今日、用事でいない。夏央は……シロウの散歩に出てるよ。俺は留守番だ」「そうか、会えなくて残念だ」「……用って、なんだ。会いたいと聞いたから来たんだが」「そうなんだよ、お前にとっても朗報かもしれないんだ。できたんだよ、傑作とも言えるアンドロイドが」有馬の顔が喜色に染まる。潮は不愉快で仕方なかった。あれだけのことをして、奪って、壊して、掻き乱したこの男が、自分だけ一番幸せだった時に戻っている。あの時、殴り殺しておけば良かったか。そうすれば自分が敗北した瞬間で終わらせてやったのに、とらしくない、物騒なことを考えている自分を自覚できないまま有馬の話は続く。どうやら技術のことを話しているらしく、断片的ではあるが、最新型の、潮のボディの詳細を話しているらしかった。らしかった、と言うのは音声データとして記録はしているが、潮自身この話に興味がなかったからだ。興味がないと言うか、理解できないというか。背後で玲斗の小さな声が聞こえている。どうやら彼には内容がわかるらしい。それもそうだ、潮をメンテナンスしているのは玲斗なのだ。実際見て触っているのだからこの場にいる誰よりも精通している。「だから、もうすぐだ。もうすぐ走れるようになるからな、潮」瞠目した。本来アンドロイドにはない仕草だ。しかし、確実に潮は動揺した。なんて言った、この男は。聞き返すこともできないまま有馬を見る。その瞳は狂気に染まりきって現実を見ていない。けれども表情は、声音は、父親のそれだった。家族に向ける、愛情だった。「お前、サッカーがしたいと言っていただろう? それに、シロウの散歩も。夏央とはプールに行きたいと言っていたし、伊智くんとは絵を描きに公園へ行ってみたいとも言っていたじゃないか」「……ぁ」「大丈夫、大丈夫だ。叶うから、叶えてあげるからな。潮」この男は狂っている。わかっている、理解だってしていて、まともに取り合う必要は無い。それでも傾けられた感情は間違いなく暖かいもので、倒錯しているが本物で。割り切ろうと、振り切ろうとしている、のに。ガタン、と音がした。我に返って振り返ると玲斗が伊智を抑えている。荒い呼吸音が響いている。思わずバイタルを取ると酷く興奮しているのが分かった。無言で立ち上がった潮に、玲斗がもういいんですか、と問う。もういい、これ以上は無駄だと吐き捨てた。「? 潮、どうしたんだい? 何処へ」「っお前が……!!」「伊智」激昂しかけた伊智の腕を強く掴んで制止する。なんで、と言いたげな伊智の視線を受け止めながら潮は少し逡巡する。「……俺、今走れてるよ。お父さん」それだけ告げて、伊智を引き摺って接見室を後にする。そうか、良かったと響いた柔らかい声は聞かなかったことにした。※「潮、おい、良いのかよあれ!」引き摺られている伊智が噛み付いた。何が、と億劫に返した潮に少し言い淀む。「……あんなの、逃避だろ?あれだけのことしでかして、黄海さんも、俺のお父さんとお母さんも、赤星兄さんだって……」「それについてはもう殴ってある。終わった話だよ」「終わったって、お前、有馬の行動で黒田さんが、お前だって!」「……」伊智が何を言いたいか、何となくわかる。有馬は狂うことで逃げたと言いたいのだろう。全てを巻き込みながらも遂げられなかったと言う現実から。お前は許せるのかと、伊智は言いたいんだろう。彼はきっと、許せないんだろう。それでもいいと潮は思う。その権利が、有馬を憎む権利が彼にはある。ただ一人、理不尽な憎悪を向けられて何もかも失っている。それは潮とて同じだが、失ったものに決定的な違いがあった。伊智は大切な人たちを失った。潮は自分の命と時間を失った。その差異は、限りなく大きい。だからなのだろうか。有馬を殴ってからはあの男を薄気味悪いと思いこそすれ憎悪はわかなかった。有馬潮がそうなのか、人の為の機械になってしまったからなのかは、分からないが。「……潮?」不安そうな伊智の声にはっとする。物思いに耽って相棒に応えない機体が何処にいる、と嫌悪してからなんともないから、と伊智から距離を取る。「えっ、ちょ、何処に……」「席を外すよ、仕事はもう終わったろ?」「なら俺も……」「少しだけ一人にしてくれ」レミに位置情報は送っておくし、回線は開いてるから。何かあったら呼んでくれ。それだけ告げて潮は踵を返す。背後で伊智と玲斗の声がする。聞こえていない振りをした。※二人から離れた潮が居たのは、夏央の墓前だった。時代や科学がどれだけ進もうとも故人を憂い尊ぶ心というものは人から消えることは無いらしい。最も、葬儀や手続きの大部分はデジタル化され、住職の仕事も機械に取って変わっている。その中でも唯一、墓というものは形として残っている。それもまあ、かなり形骸化されて来てはいるが。墓石に刻まれた姉の名前を見る。そこには犬型ロボットが丸くなって停止している。あの戦いの後、夏央の遺体に寄り添うようにこうなっていたらしい。その後どれだけ修復しても、燃料を足しても動かなかった。まるで拒絶するかのように。そんな様子を眺めながら、制服のポケットからガラクタを取り出した。レンズが割れて、フレームが歪んでいるメガネ。夏央のものだったそれはゴミと言って差し支えない。捨てるべきものだ。手元に置いておくなんて、非合理がすぎる。けれども、潮はこれを手放せないでいる。有馬の話を、伊智の言葉を、動かなくなったシロウを、夏央の死に目を思い出す。湧き上がる感情に名前がつけられないままだ。同時に思う。これは本当に俺の感情か?と。有馬潮の記憶を後付けされただけのアンドロイドが、感情を謳っているだけなのではないか。陽凪の様に感情学習機能がある訳でもない。それもそうだ。死にかけた有馬潮の依代になっただけの機械なのだから。目の前の墓に視線を向ける。そこにあるのは夏央の名前だけ。有馬潮の記載は、どこにも無い。記憶があるのに、存在していた証明が出来ない。はっきりしているのにあやふやで、形があるのにそれを自分だと言いきれない。伊智のクレヨンを折ったのは。そのクレヨンを夏央と一緒に買って返したのは。画面に映る母と笑いあったのは。父に外で遊びたいと、願ったのは。間違いなく潮なのに、どこにも「俺」を見つけられなくて。俺は本当に居たのかな、なんて。「……なつ姉、俺、本当になつ姉の弟だった?」答えは無い。何もかも明確にならないまま潮は踵を返す。答えが欲しい。俺はなんなのか。当面は廃棄処分されないように、また有馬のような悲しみにくれないように。人間たちへの心象を良くするために、愛嬌を撒いておこう。スパローへ行った二人には親しみが湧きやすいようにアンドロイドらしくなく居よう。伊智は俺でもいいと言いながら「有馬潮」を求めているから、それをなぞろう。せめて、せめて今。ここにいる「俺」が、壊されないように。昔のことがぐちゃぐちゃて不明瞭で、それでも今ここに有るのは、間違いないから、だから。否定、しないで。どうか。お願い。望む形でいるから。そういう形でいるから。楽しいねって、思って貰えるように。そうやって動くから。ここに居させて。軋む稼働音の合間に、ごめんねと今はもう聞けない声が響いた気がした。畳む#CoC #VOID
幼気を縊る
蛍光灯が瞬いて、コンクリ質の壁に鈍く反射しているのに薄暗い。そんな拘置所は一昔も前の話だ。今は犯罪者との接見室も白に統一され、一定の明るさを保っている。その面会者側に潮は掛けていた。後ろには帽子を目深に被った相棒と、不安そうにしているアンドロイド課暫定班長が立っている。
不思議な感覚だと思う。本来ここに座るのは潮ではなく伊智か玲斗、つまり人間であってアンドロイドである自分ではないはずなのだ。立場が逆になっている。
奥の、強化ガラスの向こう側。その扉が開く。
人間の担当官の後ろから、有馬真二が姿を見せた。
※
有馬が潮との面会を希望している。不安そうに玲斗が潮と伊智にそう告げたのは半月前の事だ。あの事件の詳細は、世間には隠匿されている。それもそうだ、リボット社のアンドロイドは警察だって利用しているのだ。その社長が起こした事件による、警察へのイメージダウンを恐れて重要な部分は隠蔽されている。当然、当事者のアンドロイド課にも箝口令が敷かれていた。その処理に追われている中での事だった。
「俺としては…反対なんだけど。でも上層部はあわよくば潮に有馬真二の技術を引っ張り出させたいみたいでさ」
ごめん、抵抗しきれなかった。申し訳なさそうに謝る玲斗に構わないと告げる。はて、その時自分はどんな感情を抱いたいのだろうか。
「潮」
ふと隣を見たら帽子の鍔が映り込む。伊智が心配そうな、憤っているような、そんな微妙な顔で俺を見た。
「大丈夫だって。流石に丸腰だろうからさ。前みたく銃口を向けさせたりなんて出来やしないと思うし」
自分で言って、冷たいものが背中に走った、気がした。気がするのはこの体はもはやセンサーを切り替えなければ悪寒すら感じ取れないものになっているからだ。それでも確かに、そう感じた。”有馬潮”として。
またぞわり、とそれが背中を落ちる。雑音になりそうな思考に蓋をして潮は有馬との面会に応じた。
※
老けたな。強化ガラス越しに見る有馬を見た潮の感想はそれだった。夏央を取り込ませた機械の神の隣で立っていた時より狂気はなりを潜めているが、落ち窪んだ目には深く影を差している。艶を無くした白髪が不気味さを助長させていて、いっそ哀れだと思った。
機械の存在の潮ですらそうなのだから、背後に立つ人間二人はそれ以上に感じるだろう。伊智が息を呑む音がする。それを留意事項に留めておきながら潮は改めて目の前の男と向き合った。
視線が合う。絡む。その瞬間ぎょろりとした目が少し優しげに歪んだ。
「潮、調子はどうだ? 身体はどこも、痛くないかい?」
その言葉に搭載された演算機能は素早く「正気ではない」という答えを叩き出した。しかし、感情が確かな記憶を伴って揺れる。
『潮、調子はどうだ? ……すまない、仕事でちゃんといてやれなくて。痛い所はないかい?』
心臓が弱くてよく寝込んでいた潮に、頭を撫でながら不器用に温度をかたむけていた時の。
リフレインする記憶を無理やり蓋をする。勤めて自分はアンドロイドだと言い聞かせる。
「修繕とメンテナンスは済ませてある。問題はない」
「そうか。よかった……所で、夏央は?伊智くんは? 今日は一緒に遊んでいないのかい?」
言葉に詰まる。それ以上に機械すら焼け付くような衝動が口から出そうになった。なんとか押し留めているそれは確実に潮を焼いている。燃えている、とは少し違う。煮えたぎって尚、尽きないような。そんな衝動を呑み込む。
今は、有馬との会話を続けるのが最優先だ。そう言い聞かせる。
「伊智は今日、用事でいない。夏央は……シロウの散歩に出てるよ。俺は留守番だ」
「そうか、会えなくて残念だ」
「……用って、なんだ。会いたいと聞いたから来たんだが」
「そうなんだよ、お前にとっても朗報かもしれないんだ。できたんだよ、傑作とも言えるアンドロイドが」
有馬の顔が喜色に染まる。潮は不愉快で仕方なかった。あれだけのことをして、奪って、壊して、掻き乱したこの男が、自分だけ一番幸せだった時に戻っている。
あの時、殴り殺しておけば良かったか。
そうすれば自分が敗北した瞬間で終わらせてやったのに、とらしくない、物騒なことを考えている自分を自覚できないまま有馬の話は続く。どうやら技術のことを話しているらしく、断片的ではあるが、最新型の、潮のボディの詳細を話しているらしかった。
らしかった、と言うのは音声データとして記録はしているが、潮自身この話に興味がなかったからだ。興味がないと言うか、理解できないというか。背後で玲斗の小さな声が聞こえている。どうやら彼には内容がわかるらしい。それもそうだ、潮をメンテナンスしているのは玲斗なのだ。実際見て触っているのだからこの場にいる誰よりも精通している。
「だから、もうすぐだ。もうすぐ走れるようになるからな、潮」
瞠目した。本来アンドロイドにはない仕草だ。しかし、確実に潮は動揺した。
なんて言った、この男は。
聞き返すこともできないまま有馬を見る。その瞳は狂気に染まりきって現実を見ていない。けれども表情は、声音は、父親のそれだった。家族に向ける、愛情だった。
「お前、サッカーがしたいと言っていただろう? それに、シロウの散歩も。夏央とはプールに行きたいと言っていたし、伊智くんとは絵を描きに公園へ行ってみたいとも言っていたじゃないか」
「……ぁ」
「大丈夫、大丈夫だ。叶うから、叶えてあげるからな。潮」
この男は狂っている。わかっている、理解だってしていて、まともに取り合う必要は無い。それでも傾けられた感情は間違いなく暖かいもので、倒錯しているが本物で。
割り切ろうと、振り切ろうとしている、のに。
ガタン、と音がした。我に返って振り返ると玲斗が伊智を抑えている。荒い呼吸音が響いている。思わずバイタルを取ると酷く興奮しているのが分かった。
無言で立ち上がった潮に、玲斗がもういいんですか、と問う。もういい、これ以上は無駄だと吐き捨てた。
「? 潮、どうしたんだい? 何処へ」
「っお前が……!!」
「伊智」
激昂しかけた伊智の腕を強く掴んで制止する。なんで、と言いたげな伊智の視線を受け止めながら潮は少し逡巡する。
「……俺、今走れてるよ。お父さん」
それだけ告げて、伊智を引き摺って接見室を後にする。そうか、良かったと響いた柔らかい声は聞かなかったことにした。
※
「潮、おい、良いのかよあれ!」
引き摺られている伊智が噛み付いた。何が、と億劫に返した潮に少し言い淀む。
「……あんなの、逃避だろ?あれだけのことしでかして、黄海さんも、俺のお父さんとお母さんも、赤星兄さんだって……」
「それについてはもう殴ってある。終わった話だよ」
「終わったって、お前、有馬の行動で黒田さんが、お前だって!」
「……」
伊智が何を言いたいか、何となくわかる。有馬は狂うことで逃げたと言いたいのだろう。全てを巻き込みながらも遂げられなかったと言う現実から。お前は許せるのかと、伊智は言いたいんだろう。
彼はきっと、許せないんだろう。それでもいいと潮は思う。その権利が、有馬を憎む権利が彼にはある。
ただ一人、理不尽な憎悪を向けられて何もかも失っている。それは潮とて同じだが、失ったものに決定的な違いがあった。
伊智は大切な人たちを失った。潮は自分の命と時間を失った。その差異は、限りなく大きい。
だからなのだろうか。有馬を殴ってからはあの男を薄気味悪いと思いこそすれ憎悪はわかなかった。有馬潮がそうなのか、人の為の機械になってしまったからなのかは、分からないが。
「……潮?」
不安そうな伊智の声にはっとする。物思いに耽って相棒に応えない機体が何処にいる、と嫌悪してからなんともないから、と伊智から距離を取る。
「えっ、ちょ、何処に……」
「席を外すよ、仕事はもう終わったろ?」
「なら俺も……」
「少しだけ一人にしてくれ」
レミに位置情報は送っておくし、回線は開いてるから。何かあったら呼んでくれ。
それだけ告げて潮は踵を返す。背後で伊智と玲斗の声がする。聞こえていない振りをした。
※
二人から離れた潮が居たのは、夏央の墓前だった。時代や科学がどれだけ進もうとも故人を憂い尊ぶ心というものは人から消えることは無いらしい。最も、葬儀や手続きの大部分はデジタル化され、住職の仕事も機械に取って変わっている。その中でも唯一、墓というものは形として残っている。それもまあ、かなり形骸化されて来てはいるが。
墓石に刻まれた姉の名前を見る。そこには犬型ロボットが丸くなって停止している。
あの戦いの後、夏央の遺体に寄り添うようにこうなっていたらしい。その後どれだけ修復しても、燃料を足しても動かなかった。まるで拒絶するかのように。
そんな様子を眺めながら、制服のポケットからガラクタを取り出した。
レンズが割れて、フレームが歪んでいるメガネ。夏央のものだったそれはゴミと言って差し支えない。捨てるべきものだ。手元に置いておくなんて、非合理がすぎる。
けれども、潮はこれを手放せないでいる。
有馬の話を、伊智の言葉を、動かなくなったシロウを、夏央の死に目を思い出す。湧き上がる感情に名前がつけられないままだ。
同時に思う。これは本当に俺の感情か?と。
有馬潮の記憶を後付けされただけのアンドロイドが、感情を謳っているだけなのではないか。陽凪の様に感情学習機能がある訳でもない。それもそうだ。死にかけた有馬潮の依代になっただけの機械なのだから。
目の前の墓に視線を向ける。そこにあるのは夏央の名前だけ。有馬潮の記載は、どこにも無い。
記憶があるのに、存在していた証明が出来ない。はっきりしているのにあやふやで、形があるのにそれを自分だと言いきれない。
伊智のクレヨンを折ったのは。
そのクレヨンを夏央と一緒に買って返したのは。
画面に映る母と笑いあったのは。
父に外で遊びたいと、願ったのは。
間違いなく潮なのに、どこにも「俺」を見つけられなくて。
俺は本当に居たのかな、なんて。
「……なつ姉、俺、本当になつ姉の弟だった?」
答えは無い。何もかも明確にならないまま潮は踵を返す。答えが欲しい。俺はなんなのか。
当面は廃棄処分されないように、また有馬のような悲しみにくれないように。
人間たちへの心象を良くするために、愛嬌を撒いておこう。スパローへ行った二人には親しみが湧きやすいようにアンドロイドらしくなく居よう。伊智は俺でもいいと言いながら「有馬潮」を求めているから、それをなぞろう。
せめて、せめて今。ここにいる「俺」が、壊されないように。昔のことがぐちゃぐちゃて不明瞭で、それでも今ここに有るのは、間違いないから、だから。
否定、しないで。どうか。お願い。望む形でいるから。そういう形でいるから。楽しいねって、思って貰えるように。そうやって動くから。
ここに居させて。
軋む稼働音の合間に、ごめんねと今はもう聞けない声が響いた気がした。畳む
#CoC #VOID