小説 2025/01/10 Fri 灯送御前物語の蛇足。・少しの戦争描写・今はロストした探索者が出ている#創作 続きを読む灯送御前物語 revival 広島県某所、八月某日。美琴はある廃村跡に来ていた。というのも元々この近くの大規模な発掘作業に来ていたのだが仲良くなった現地民の少年少女に近くに家のあとみたいなものがある、と聞いて作業の合間に訪れたのだ。主任である叔父は美琴の好奇心の強さを知っているので自分の仕事が終わったのなら言ってもいい、と許可を出している。毎度のことなので止めるのが面倒になったとも言うのだが。 生い茂る草を踏みしめて歩きながら周りを見る。なるほど、あちこちに家の基盤のようなものが辛うじて残っていた。家の原型そのものを残しているものは皆無だったが、井戸の崩れた石の山や、人工物と思しき木片が散らかっている。 ふと、その散らかり方が自然と朽ちたと言うにはあまりに飛んでいる気がして美琴は首をかしげた。しかし周りの山を見てああ、自然発火にでも襲われたのだろうかと納得する。視線の先には一部だけ不自然に剥げている山があった。 麓の方だし、なにか原因が分かるかも。そう思った美琴はそちらに足を向けた。* 道中は木々が生い茂って薄暗さすら感じた森が、一気に明るくなる。目の前の光景に美琴は思わず息を呑んだ。遠目からだと木々が枯れているように見えていたのだが、近づくにつれ鼻に付いた匂いでそうだろうな、と予測していながらそれでも足がすくんだ。 そこだけ、草木全てが焼けて何も残っていなかった。ただ、黒ずんだ土と、むき出しになった石が転がっているだけだった。 「あちゃー・・・焼き畑にしたってやりすぎだよ・・・灰もほとんど残ってないじゃん・・・」 そこまでいってあれ?と引っかかる。焼き畑にするのならばここまで燃やす必要もないし燃えている範囲も中途半端。そもそも燃やさずとも土壌の質は良さそうだし、畑を作ろうとしたにはあまりに地面が均されていない。傾斜のままだった。 山の管理で除草した後燃やしたにしてはこれまでの道のりの草は然程刈られている様子はなかったし、何より、この近辺で焼き畑をする伝統もなかったはずだ。 眼前の不自然さに、好奇心と不気味さが同時に湧き上がる。 なんとなく何かを知らなければならない、と漠然と思い美琴は宛もなく残留物と痕跡を探し始めた。* それは、突然目の前に現れた。実際はずっとあったのだろうが、探していながらも何も残っていないだろうな、と決め込んでいた美琴にすれば突然現れた、という表現もあながち間違いではなく、しかしそれはそんな美琴の驚きなど知ったことではない、と言わんばかりにこじんまりとそこに鎮座していた。 崩れかけた、ささやかな・・・いや、酷くお粗末な祠だった。下で朽ちていた村の人間が何かを祀ったのだろうか、と美琴はぼんやり考えた。汗が頬を伝って地面に落ちる。滴り落ちた雫は地面に吸い込まれてすぐに消えた。 美琴は祠の前にしゃがみこんだ。調査をする前にまずすべきことがある、と背負っていたリュックから掃除道具を引っ張り出す。綺麗にしてから調べさせてくださいと祀られていたものに頼むためだ。信仰があろうとなかろうと、その土地を調べに来た自分たちは外部からの招かれざる客なのだからしっかり土地神や地元民へ誠意を見せねばならないという叔父の教えである。 崩れてしまわないようにそっと土埃払う。周り一面灰も残っていないのに崩れかけているこの祠だけが何故残っていたのだろう、と思いながらも出来る範囲で掃除する。腐って折れそうな支柱に添えるように手持ちの木材で補強し、所々石が抜けて絶妙なバランスで立っているだけの土台に適当な大きさの石をはめ込む。 「何をしている」 怒気を孕んだ声が背後からしたのはその時だ。立て付けの悪くなった戸をそっと閉めて備えるために持ってきた日本酒を片手に美琴は振り向く。しかしそこには誰もおらず、そういえば水分とってないなとどこかずれたことを考えながらまた祠へ向いて、固まった。 目に付いたのは鋭く尖った黒い何かと燃えるような赤い双眸。しかし美琴に認識できたのはそこまでで、ぶわりと熱風に煽られる。 「え?」 小さな疑問符だけを残して美琴が消えた。後には彼女が持ってきた、手頃な大きさの瓶に入った日本酒だけか弱くゆらりと中で揺れていた。* 何処か遠くで鐘の音がする。聞きなれないのに何処か不安を煽るその音に美琴はゆっくりと振り向いて目を見張った。 赤い空に、低い家。空を蹂躙するように飛ぶ、戦闘機。 理解が追いつかないまま、その場から走り出す。ダメだ、ここにいてばダメだと本能が訴える。美琴が走り出して数分後、彼女がいた場所に鉄片が降り注いだ。 走って、走って走って走って。足場の悪い山道を駆け抜けて麓に村が見えた。よかった、人が居るのかと安心したのも束の間、どぉんと体の芯まで震わせるような轟音が襲いかかる。 なんで、と美琴のそれだけを形作ってそれ以降を言葉にすることができなかった。だって、追先ほどまで村があったじゃないか。空は赤いままだけど、それでも確かにあった。そのはずなのに。 どうして、一瞬で燃えてしまうの。 酸欠で震える足を叱咤して逃げようとする美琴の視界にちらりと人影が映った。あの人も逃げるのか、と思っていたが影は確かに燃えた村の方へ向かっている。美琴は思わず自分が逃げようとした方向とは逆に走り出していた。 「な、にやってるの!!ここは危ないから逃げなきゃ!!」 半ば悲鳴のように叫びながら美琴が腕を掴む。そして、掴んだことを後悔した。 爛々と赤く光る目。それだけなら自分も同じようなものだと流しただろう。しかし美琴の視線はその人の頭上に釘付けになった。ひゅ、と喉が抜けた音を出す。それは、人間の頭には到底ないものだった。 黒い角が二本。禍々しく生えたそれに掴んだ腕すら離せない。赤い目がゆっくりと美琴を睥睨し、そして。 荒々しく頭を掴まれる。その瞬間美琴が見たものは、自分の頭を掴む鬼の背後、村の全てが火に呑まれるところだった。* は、と勢いよく目を開ける。視界に飛び込んできたのは不自然なほど開けた空だった。がばりと状態を起こして周りを見る。自分が足を踏み入れた焼け野原だった。 焼けた村も、鬼もいない。その事実に息をつきかけて、呑み込む。自分が持ってきた日本酒の瓶が溶けていた。中身はなくなっていたため最初こそここに捨てられたものだと思ったが、溶けていない瓶に薄ら白い跡が残っていた。恐らく蒸発したのだろうと判断できて、中身は確かにあったと再認識。時計を見れば10分も立っていない。 薄ら寒さを感じて美琴は慌てて立ち上がる。反射的に溶けてしまった瓶を処理したのは身に付いた習慣からだった。何も考えずにその場を立ち去ろうとして、ふと足元でかさりと音がしたのに気が付いた。 土が付着し所々焦げた一冊の書物だった。 おかしい、確かにこんなもの今までなかったはずだ。理解の追いつかない現象に軽く混乱する。しかし、美琴はこれが危険なものだとは思えなかった。見なくてはならない、そんな気持ちにすらなる。恐怖と好奇心が天秤にかけられる。 逡巡して、それを手にとった。警鐘はならない。安全だと信じたわけではないが少なくとも手に取ってどうこうなる代物ではない。なんとなくそう思った。紐で閉じられた書物の表紙についた土を払い落として、美琴は目を丸くする。 「・・・ひおくりごぜん・・・書留帳?」* 取っていた宿で拾った書物をぱらぱらとめくっていく。内容は恐らくあの燃えた村の伝承だろうと推測していたがそれよりももっと簡易的な、日記のようなものだった。 曰く、あの村には鬼がいたらしい。それだけ聞くと村に伝わる警告のような伝承なのだろうかと思ったがそれにしては鬼の様子があまりに詳しく描かれ過ぎている。容姿も、性格も、口調も何もかもがまるで実際鬼と話したように描写されている。最初の方のページは鬼を警戒するような内容が徐々に鬼と送る日々を楽しむようなものに変化している。日記の持ち主だけでなく、村人全員が鬼を歓迎するようになっていた。賑やかで騒々しくて、けれども穏やかで優しい日々を彼らは過ごしていたのだろう。 気付けば美琴は泣いていた。何に対しての涙なのか自分にもわからないまま。ただ、ひどく切なかった。自分が見つけるまで誰も気づかれず静かに埋もれていた名も無い村の伝承を見つけた喜びと、そっとしておくべきだったのではないかという後悔が綯交ぜになる。 やがて、美琴は涙を吹いて部屋を飛び出した。* 次の日、美琴は崩れかけた祠の前に立っていた。手には新品の木材や簡単な金具、持ち運べる程度の工具が握られている。何処か張り詰めた空気を振り払うように両手で自分の頬を勢いよく叩いて作業に取り掛かった。 寸法を測って糸鋸で木材を切っては少しずつ祠の形を整えていく。木材で祠を、石で土台を作り上げ中に祀られていた小さな提灯を壊さないように祀り直す。 やがて簡易ながらも真新しくなった祠に美琴は大きく息をついた。ニスも塗ったので多少の雨なら大丈夫だろう。頬を伝い顎から滴り落ちる汗を雑に拭うと美琴はそこに花と酒を備えた。 酒は恐らく、この祠の主であろう鬼への労わりで。花は、あの生々しい白昼夢で見た、村人への弔いへ。そして一瞬逡巡した後、あの日記も祠へ置いた。 学者としては非常に貴重で、恐らく誰も知らない伝承の記された資料だろう。正直喉から手が出るほど欲しいと思ったが、なんとなくそれをするのは憚られた。結局学者としてより美琴個人の感情から、祠の主へ返すことにしたのだ。自己満足である。それでもいいと美琴は思う。 「・・・まあ、そっとしておいたほうがいいこともあるよね」 小さく笑って美琴は踵を返す。燦々と降り注ぐ真夏の日差しの中、彼女の背中を見つめる赤い双眸に、美琴は最後まで気付かなかった。* 一週間ぶりの自宅の鍵を開けて中に入る。途中予定外の労働も入ったおかげで飛行機の中で熟睡してしまい叔父に笑われたのは記憶に新しい。変なところが筋肉痛になった、と独り言ちて部屋に入り、凍りついた。 おいてきたはずの日記と、そして見覚えのない書物が数冊、ベッドの上に無造作に置かれていた。なんで、おいてきたのにと口は形を作るが喉が凍りついて音にならない。 震える手で置いてきた日記をぱらりとめくる。内容も字も、そっくりそのまま自分が見たものだった。敗れている箇所も、誤字を訂正した部分も全てそのままで、贋作ではないことをそのまま表している。 しかし最後のページをみて、美琴は目を見開いた。 「持っていけ。好きにしろ」 明らかに書きたされた朱色の墨汁で一言そう書いてあった。年代もパッと見た限り日記の墨汁よりも新しい。慌ててほかの書物も開いていく。内容はよく似たものだったがどれもこれも穏やかで賑やかな暖かい日常を綴ったものだった。目を通していくうちに美琴は笑い出したい衝動に駆られていく。 (すごい淋しがりじゃない、この鬼) 本来ならもっと怖がるべきなのだろう。しかしどうしたってこの書物たちからは鬼の内情がありありと描かれていて想像すればするほど淋しがり屋である、という結論にしか至らなかったのだ。白昼夢で見たあの恐ろしい目はきっと、村が燃えてしまって悲しかったのだと今更気が付いた。 ひとしきり笑って、美琴は鞄からノートパソコンを引っ張り出す。文献として発表するには資料が足りないし、この書物だけでは歴史的資料として物量が足りない。恐らく、誰も手に取らないだろう。そう、学者ならば。 だったら、物語にしてやればいいと美琴は指を踊らせ始めた。 まっさらなデータの一行目。タイトルは『灯送御前物語(ひおくりごぜんものがたり)』畳む
・少しの戦争描写
・今はロストした探索者が出ている
#創作
灯送御前物語 revival
広島県某所、八月某日。美琴はある廃村跡に来ていた。というのも元々この近くの大規模な発掘作業に来ていたのだが仲良くなった現地民の少年少女に近くに家のあとみたいなものがある、と聞いて作業の合間に訪れたのだ。主任である叔父は美琴の好奇心の強さを知っているので自分の仕事が終わったのなら言ってもいい、と許可を出している。毎度のことなので止めるのが面倒になったとも言うのだが。
生い茂る草を踏みしめて歩きながら周りを見る。なるほど、あちこちに家の基盤のようなものが辛うじて残っていた。家の原型そのものを残しているものは皆無だったが、井戸の崩れた石の山や、人工物と思しき木片が散らかっている。
ふと、その散らかり方が自然と朽ちたと言うにはあまりに飛んでいる気がして美琴は首をかしげた。しかし周りの山を見てああ、自然発火にでも襲われたのだろうかと納得する。視線の先には一部だけ不自然に剥げている山があった。
麓の方だし、なにか原因が分かるかも。そう思った美琴はそちらに足を向けた。
*
道中は木々が生い茂って薄暗さすら感じた森が、一気に明るくなる。目の前の光景に美琴は思わず息を呑んだ。遠目からだと木々が枯れているように見えていたのだが、近づくにつれ鼻に付いた匂いでそうだろうな、と予測していながらそれでも足がすくんだ。
そこだけ、草木全てが焼けて何も残っていなかった。ただ、黒ずんだ土と、むき出しになった石が転がっているだけだった。
「あちゃー・・・焼き畑にしたってやりすぎだよ・・・灰もほとんど残ってないじゃん・・・」
そこまでいってあれ?と引っかかる。焼き畑にするのならばここまで燃やす必要もないし燃えている範囲も中途半端。そもそも燃やさずとも土壌の質は良さそうだし、畑を作ろうとしたにはあまりに地面が均されていない。傾斜のままだった。
山の管理で除草した後燃やしたにしてはこれまでの道のりの草は然程刈られている様子はなかったし、何より、この近辺で焼き畑をする伝統もなかったはずだ。
眼前の不自然さに、好奇心と不気味さが同時に湧き上がる。
なんとなく何かを知らなければならない、と漠然と思い美琴は宛もなく残留物と痕跡を探し始めた。
*
それは、突然目の前に現れた。実際はずっとあったのだろうが、探していながらも何も残っていないだろうな、と決め込んでいた美琴にすれば突然現れた、という表現もあながち間違いではなく、しかしそれはそんな美琴の驚きなど知ったことではない、と言わんばかりにこじんまりとそこに鎮座していた。
崩れかけた、ささやかな・・・いや、酷くお粗末な祠だった。下で朽ちていた村の人間が何かを祀ったのだろうか、と美琴はぼんやり考えた。汗が頬を伝って地面に落ちる。滴り落ちた雫は地面に吸い込まれてすぐに消えた。
美琴は祠の前にしゃがみこんだ。調査をする前にまずすべきことがある、と背負っていたリュックから掃除道具を引っ張り出す。綺麗にしてから調べさせてくださいと祀られていたものに頼むためだ。信仰があろうとなかろうと、その土地を調べに来た自分たちは外部からの招かれざる客なのだからしっかり土地神や地元民へ誠意を見せねばならないという叔父の教えである。
崩れてしまわないようにそっと土埃払う。周り一面灰も残っていないのに崩れかけているこの祠だけが何故残っていたのだろう、と思いながらも出来る範囲で掃除する。腐って折れそうな支柱に添えるように手持ちの木材で補強し、所々石が抜けて絶妙なバランスで立っているだけの土台に適当な大きさの石をはめ込む。
「何をしている」
怒気を孕んだ声が背後からしたのはその時だ。立て付けの悪くなった戸をそっと閉めて備えるために持ってきた日本酒を片手に美琴は振り向く。しかしそこには誰もおらず、そういえば水分とってないなとどこかずれたことを考えながらまた祠へ向いて、固まった。
目に付いたのは鋭く尖った黒い何かと燃えるような赤い双眸。しかし美琴に認識できたのはそこまでで、ぶわりと熱風に煽られる。
「え?」
小さな疑問符だけを残して美琴が消えた。後には彼女が持ってきた、手頃な大きさの瓶に入った日本酒だけか弱くゆらりと中で揺れていた。
*
何処か遠くで鐘の音がする。聞きなれないのに何処か不安を煽るその音に美琴はゆっくりと振り向いて目を見張った。
赤い空に、低い家。空を蹂躙するように飛ぶ、戦闘機。
理解が追いつかないまま、その場から走り出す。ダメだ、ここにいてばダメだと本能が訴える。美琴が走り出して数分後、彼女がいた場所に鉄片が降り注いだ。
走って、走って走って走って。足場の悪い山道を駆け抜けて麓に村が見えた。よかった、人が居るのかと安心したのも束の間、どぉんと体の芯まで震わせるような轟音が襲いかかる。
なんで、と美琴のそれだけを形作ってそれ以降を言葉にすることができなかった。だって、追先ほどまで村があったじゃないか。空は赤いままだけど、それでも確かにあった。そのはずなのに。
どうして、一瞬で燃えてしまうの。
酸欠で震える足を叱咤して逃げようとする美琴の視界にちらりと人影が映った。あの人も逃げるのか、と思っていたが影は確かに燃えた村の方へ向かっている。美琴は思わず自分が逃げようとした方向とは逆に走り出していた。
「な、にやってるの!!ここは危ないから逃げなきゃ!!」
半ば悲鳴のように叫びながら美琴が腕を掴む。そして、掴んだことを後悔した。
爛々と赤く光る目。それだけなら自分も同じようなものだと流しただろう。しかし美琴の視線はその人の頭上に釘付けになった。ひゅ、と喉が抜けた音を出す。それは、人間の頭には到底ないものだった。
黒い角が二本。禍々しく生えたそれに掴んだ腕すら離せない。赤い目がゆっくりと美琴を睥睨し、そして。
荒々しく頭を掴まれる。その瞬間美琴が見たものは、自分の頭を掴む鬼の背後、村の全てが火に呑まれるところだった。
*
は、と勢いよく目を開ける。視界に飛び込んできたのは不自然なほど開けた空だった。がばりと状態を起こして周りを見る。自分が足を踏み入れた焼け野原だった。
焼けた村も、鬼もいない。その事実に息をつきかけて、呑み込む。自分が持ってきた日本酒の瓶が溶けていた。中身はなくなっていたため最初こそここに捨てられたものだと思ったが、溶けていない瓶に薄ら白い跡が残っていた。恐らく蒸発したのだろうと判断できて、中身は確かにあったと再認識。時計を見れば10分も立っていない。
薄ら寒さを感じて美琴は慌てて立ち上がる。反射的に溶けてしまった瓶を処理したのは身に付いた習慣からだった。何も考えずにその場を立ち去ろうとして、ふと足元でかさりと音がしたのに気が付いた。
土が付着し所々焦げた一冊の書物だった。
おかしい、確かにこんなもの今までなかったはずだ。理解の追いつかない現象に軽く混乱する。しかし、美琴はこれが危険なものだとは思えなかった。見なくてはならない、そんな気持ちにすらなる。恐怖と好奇心が天秤にかけられる。
逡巡して、それを手にとった。警鐘はならない。安全だと信じたわけではないが少なくとも手に取ってどうこうなる代物ではない。なんとなくそう思った。紐で閉じられた書物の表紙についた土を払い落として、美琴は目を丸くする。
「・・・ひおくりごぜん・・・書留帳?」
*
取っていた宿で拾った書物をぱらぱらとめくっていく。内容は恐らくあの燃えた村の伝承だろうと推測していたがそれよりももっと簡易的な、日記のようなものだった。
曰く、あの村には鬼がいたらしい。それだけ聞くと村に伝わる警告のような伝承なのだろうかと思ったがそれにしては鬼の様子があまりに詳しく描かれ過ぎている。容姿も、性格も、口調も何もかもがまるで実際鬼と話したように描写されている。最初の方のページは鬼を警戒するような内容が徐々に鬼と送る日々を楽しむようなものに変化している。日記の持ち主だけでなく、村人全員が鬼を歓迎するようになっていた。賑やかで騒々しくて、けれども穏やかで優しい日々を彼らは過ごしていたのだろう。
気付けば美琴は泣いていた。何に対しての涙なのか自分にもわからないまま。ただ、ひどく切なかった。自分が見つけるまで誰も気づかれず静かに埋もれていた名も無い村の伝承を見つけた喜びと、そっとしておくべきだったのではないかという後悔が綯交ぜになる。
やがて、美琴は涙を吹いて部屋を飛び出した。
*
次の日、美琴は崩れかけた祠の前に立っていた。手には新品の木材や簡単な金具、持ち運べる程度の工具が握られている。何処か張り詰めた空気を振り払うように両手で自分の頬を勢いよく叩いて作業に取り掛かった。
寸法を測って糸鋸で木材を切っては少しずつ祠の形を整えていく。木材で祠を、石で土台を作り上げ中に祀られていた小さな提灯を壊さないように祀り直す。
やがて簡易ながらも真新しくなった祠に美琴は大きく息をついた。ニスも塗ったので多少の雨なら大丈夫だろう。頬を伝い顎から滴り落ちる汗を雑に拭うと美琴はそこに花と酒を備えた。
酒は恐らく、この祠の主であろう鬼への労わりで。花は、あの生々しい白昼夢で見た、村人への弔いへ。そして一瞬逡巡した後、あの日記も祠へ置いた。
学者としては非常に貴重で、恐らく誰も知らない伝承の記された資料だろう。正直喉から手が出るほど欲しいと思ったが、なんとなくそれをするのは憚られた。結局学者としてより美琴個人の感情から、祠の主へ返すことにしたのだ。自己満足である。それでもいいと美琴は思う。
「・・・まあ、そっとしておいたほうがいいこともあるよね」
小さく笑って美琴は踵を返す。燦々と降り注ぐ真夏の日差しの中、彼女の背中を見つめる赤い双眸に、美琴は最後まで気付かなかった。
*
一週間ぶりの自宅の鍵を開けて中に入る。途中予定外の労働も入ったおかげで飛行機の中で熟睡してしまい叔父に笑われたのは記憶に新しい。変なところが筋肉痛になった、と独り言ちて部屋に入り、凍りついた。
おいてきたはずの日記と、そして見覚えのない書物が数冊、ベッドの上に無造作に置かれていた。なんで、おいてきたのにと口は形を作るが喉が凍りついて音にならない。
震える手で置いてきた日記をぱらりとめくる。内容も字も、そっくりそのまま自分が見たものだった。敗れている箇所も、誤字を訂正した部分も全てそのままで、贋作ではないことをそのまま表している。
しかし最後のページをみて、美琴は目を見開いた。
「持っていけ。好きにしろ」
明らかに書きたされた朱色の墨汁で一言そう書いてあった。年代もパッと見た限り日記の墨汁よりも新しい。慌ててほかの書物も開いていく。内容はよく似たものだったがどれもこれも穏やかで賑やかな暖かい日常を綴ったものだった。目を通していくうちに美琴は笑い出したい衝動に駆られていく。
(すごい淋しがりじゃない、この鬼)
本来ならもっと怖がるべきなのだろう。しかしどうしたってこの書物たちからは鬼の内情がありありと描かれていて想像すればするほど淋しがり屋である、という結論にしか至らなかったのだ。白昼夢で見たあの恐ろしい目はきっと、村が燃えてしまって悲しかったのだと今更気が付いた。
ひとしきり笑って、美琴は鞄からノートパソコンを引っ張り出す。文献として発表するには資料が足りないし、この書物だけでは歴史的資料として物量が足りない。恐らく、誰も手に取らないだろう。そう、学者ならば。
だったら、物語にしてやればいいと美琴は指を踊らせ始めた。
まっさらなデータの一行目。タイトルは『灯送御前物語』畳む