藤堂明彦のAM6:00

 iPhoneから控えめにアラームが響く。いつもこの時間に起きているからかさほど大きな音を立てなくても起きれるようになった明彦は寝ぼけ眼で起き上がった。いつもほぼ使ってない勉強机の足と頻繁に使っている炬燵机を視界に入れながらぼりぼりと後頭部を掻いて、おまけにあくび一つ零して固まった関節をばきばきと鳴らす。視界に映った腕とふくらはぎには見事に畳の跡がついていた。

 適当に顔を洗い、前髪を全部後ろに流した状態で夏特有の湿気を孕んだ台所へ行く。いつもなら少し急ぐのだが今は夏休み、ゆったりしていてもあまり関係ないので明彦はのんびりと冷蔵庫を漁る。昨日、春彦たちとお遊びで買って食べきれなかったバケツアイスと、常備しているバターとはちみつ。この間栞からリクエストされた際に使ったチョコソースを見て頭の中で作れそうなものを探す。
 暫く冷蔵庫の扉に持たれていた明彦はバターを取り出しシンクの上に置いて、次は戸棚に向かう。引っ張り出したのはスライスされていない食パンだった。それと珈琲豆、紅茶の缶を抱え、行儀悪く足で戸を閉めると再びシンクの前へ戻った。
 包丁とまな板を出し、パンを半分ほど切り分け、残りは片付ける。半分になったパンをさらに三等分に分けて中身を切り出し、サイコロ状に切る。ふわふわとしたそれを潰さない程度にするのは結構難しい。こういう時に自分のバカ力が嫌になるんだよなぁと明彦はため息をつく。

 なんとか切り分けたそれを再びパンの耳の枠にはめ、隙間に薄く切ったバターを挟み込みアルミホイルを被せてオーブントースターへ突っ込んだ。ジジジ、とオーブントースターから聞こえる音をBGMにやかんに水を入れてコンロを捻る。点火したのを確認して三枚皿を用意してカップを二つ、グラスを一つ机に置く。紅茶の茶葉をジャンピングティーポットに入れ、珈琲豆をミルに少し入れてガリガリと回す。秋奈からしたらこの作業は結構きついものがあるとぼやいていたが明彦からしたら別段力が必要な作業でもないので、このレバーを回している間は何も考えずにいられる時間でもある。挽いたばかりの豆から香りがわずかに鼻を突く。粗挽きが好き、と秋奈は言ってたなぁとまだ寝ぼけてるような頭で考えていれば軽快な音がなる。オーブントースターが止まった音だった。

 明彦はガスを切り、再びのっそりと動く。階段をこれまたゆっくり登ると通り過ぎた部屋から物が落ちたような音がした。恐らく栞が何か落としたのだろう。悲鳴は上がってないので大したものは落としてないんだろうなと予測してそのまま叔母の部屋へと入っていく。
 床に散らばった原稿用紙を踏まないようにベッドに近づく。昨日脱稿したと言っていたのでよほど辛かったのか着替えずに布団に包まっている秋奈の肩をそっと揺らす。以前疲れてるのだろうなと起こさずにいたらなぜ起こさないんだと怒られた。きっちり七時に起きれないのが嫌らしい。
 「秋奈さん。朝。七時」
 「…ぅ」
 布団団子はそれを呻いたきり動かなくなった。一度浮上した意識が再び落ちたのを確認して明彦はため息を着く。そして恐らく、耳のあるだろう位置まで顔を近付けて小さく低く囁く。
 「…原稿、脱字あったけど」
 「ッ!?」
 その瞬間跳ね上がるように起きた秋奈から飛んできた掛け布団をキャッチし、明彦はにやりと笑っておはようと言う。その瞬間にやけた顔に枕が飛んできたのは言うまでもない。


 二人で台所まで戻ると、栞が珈琲をサイフォンにセットしているところだった。自分の分の紅茶にはすでにお湯が入ってる。
 「…あ、先生、明彦さん。おはようございます」
 「うっす」
 「おはよう…」
 三者三様の挨拶をして、明彦は置いてあったトーストを皿に移す。離れていたとは言っても短時間だったのでまだ冷えてはいない。最後の仕上げと明彦は冷凍庫からアイスを取り出し、丸くくり抜いてそれぞれのパンの上に乗せる。
 「チョコとはちみつどっちがいい?」
 「あ、えっと、チョコでお願いします」
 「両方」
 少し恥ずかしそうに答える栞とまだ眠いと目で訴える秋奈をみてうぃー、と抜けた返事を返す。三つのアイスの乗っかったトーストにそれぞれチョコソース、はちみつ、そして両方かける。とろりと黄金色が流れていくのをなんの感動もなく見ながら手を動かしていると背後からふわりと珈琲の香りが広がった。挽いている時よりも心なしか温もりを得たそれになんとなく落ち着きながら明彦は器用に三枚の皿をもってテーブルに移動する。
 「ハニートーストか」
 「おう。あっちぃからアイス乗っけた」
 「でかした」
 憮然とした表情で言い放つ秋奈に、栞と明彦は苦笑する。栞は大量の角砂糖とミルク、珈琲の入ったマグカップを秋奈の前に起き、牛乳の入ったグラスを明彦の前に、最後に自分の紅茶を手に席に着いた。
 「いただきます」
 「いただきますね、明彦さん」
 「おー」
 律儀に手をあわせて声を出す秋奈にこの人ほんとに俺より年上だよなと思いながら上に乗っているアイスをフォークで崩す。サイコロ状に詰められたパンの隙間に溶けて染み込みバターと混ざる。それを口の中に入れればさくりとした食感のあとバニラとバター、遅れてはちみつの味が口に広がる。隣を見れば秋奈は完全に目が覚めてきたのかさくさくと切り分けては無心で口の中にトーストを放り込んでいたし、反対に栞はゆっくりと口に運んでいた。
 「秋奈さん、そんなに急いで食わなくてもいいだろ。脱稿したなら今日はフリーなんだし」
 「何を言う。出来立てが逃げるだろう」
 口の端にチョコソースをつけ、真剣な顔で手を止める秋奈に明彦と栞はそろって苦笑する。なんだかんだ言って口の中にものを残した状態で喋らないし話しかけられると手を止めて相手をちゃんと見るあたり本当に律儀だなと思う。人と向き合う時にとことん真剣に誠実になる秋奈だからこそだろうが、身内の自分たちにくらい多少ルーズでもいいのにな、と二人で目を合わせて小さく笑った。
 「む、なんだ。そんなに意地汚く見えて面白かったのか?人を笑うとは二人共ひどいではないか」
 「笑うに決まってんだろ、口にチョコついてる」
 「む。むむ」
 「先生動かないでください、拭きますから…取れましたよ」
 「…むむむ」
 流石に恥ずかしかったのか、少し顔を赤らめていた秋奈は話題を変えるようにフォークで冷蔵庫を指す。
 「明彦、昨日知り合いから桃を譲ってもらったんだ。それで何か作れ」
 「あれ貰い物か。わかった」
 満足げに頷く秋奈を見ながら明彦は冷めてきたハニートーストを口に放り込む。 ━━━━今日は暑いから、冷たいものでも作ろうか。